「こんなに尽くしているのに報われない」それ多分間違ってますよ

自分の言動には自分が責任を持つ。自分の人生を生きるとゆうことは、自分の人生に責任を持つとゆうこと。

こんにちはYU-ZYです。

せっかくの一度きりの人生楽しく生きていきたくないですか?僕はそうしたいです。

そしてそうなります。

今はまだまだですが、必ず楽しく生き抜いていきます。

さて皆さんはタイトルのように、こんなに尽くしているのに報われないって思いになったことありませんか?

僕はありました。さんざんありました。以前の僕はほとんどそればっかりでした。

超ネガティブ野郎でしたからね(笑)

今でも全く無くなったと言えば嘘になりますが、以前を思えば全然少なくなりました。ほぼ無いと言ってもいいかもしれません。

じゃあなぜ超ネガティブな僕が、こんなに尽くしているのに報われないとゆう思いから抜け出したのか。今回はそれをお話させてもらおうと思います。

 

見返りばかり求めているから起こる感情 楽しむことを忘れていれば、それは傲慢になりうる

「こんなに尽くしているのに報われない」とゆう感情は恋愛でも、仕事でも、家族でも、どこにでも出てくる思いですよね。

僕もすべてのことにそう思っていました。

こんなにやっているのに、これだけやっているのに、それに見合った見返りがない(もしくは足りない)

そんな自分を見返して見た時、気付いたことがありました。今だから気付けたとゆうのもあります。当時は必死でしたから。

その人を思って、会社を思って、家族を思ってしているつもりでいて、本当のところはその見返りばかりを求めていたんです。

つもりでいたとゆうのは、そう自分に言い聞かせていたと言ったほうがいいのかもしれません。

そして勝手にその見返りを想像して期待して求めていたんですね。

これだけやったんだから、これくらいの見返りは当然あるよねって。

特に人間関係の場合はその要素が非常に濃いんだと思ったんです。

例えば好きな人のために、これだけ尽くしてるんだから、相手も自分を好きになってくれるはず、とか。

どっかのおっさんが飲み屋の女の子をものにしようと散々みついで、自分の思うようなようにならなければ事件になるようなことをしてみたり。

恋愛もこのおっさんも、違うようで根本おんなじです。

また家族にこれだけ尽くしているんだから、家族は当然自分に感謝して敬ってくれるとか。

優しくしてくれるはずとか。

誕生日なんかは感動的なサプライズがあるんじゃないかとか。

これ、自分の勝手な期待、依存からくるただの傲慢じゃないですか?

そもそも尽くすとゆう行為は、見返りを求める行為とは別のものですから

したことに対する見返り、つまり当然に対価が発生するとゆう状態は契約(約束)なんです。

労働に対する賃金と思えばわかりやすいですよね。これだけの仕事をした対価が給料として支払われる。労働契約です。

「こちらがこうゆうことを提供するので、そちらからはこうゆう見返りをください」とゆう約束を交わしていないのに、こちらが勝手に相手のために何かをして、相手がノーリアクションもしくは自分が勝手に思っていたものより、ずっと少ない対価だったときに勝手に思う感情。

報われないだとか、裏切られたとか、相手を悪く思う感情が湧きあがってくるのは、自分が勝手に決めていた見返りに足りなかった時におこるんです。

それって傲慢とゆうんじゃないでしょうか。

いくら相手のために良かれと思って何かをしても、勝手に見返りを期待していたら、それは結局は自分のためだけの行為であり、尽くしたとゆうものではないと思います。

尽くすとは見返りを求めず期待もせず、純粋に相手の喜ぶための行動なんです。

スケベ心があるものじゃないんですよね。

それが嫌なら尽くすとゆうようなことはやめて、ちゃんと契約(約束)をしましょう。

その契約が守られなかった時に正当に怒ればいいんですから。

 

尽くすのならば尽くす自分を楽しむ 自分が楽しいと思うことをする。

もちろん人に尽くすことは悪いことでも無駄なことでもありません。

すけべ心があろうが無かろうが素晴らしい行為だと思います。

僕も人に何かをすることは大好きですから。

けど見返りありきでやると、悪いことにも無駄なことにもなりうります。

好きな人を落とす的な、戦略的なこととは別ですよ。

それはそれでちゃんとした計画的な行動ですから。

僕が人に尽くして見返りもないのに苦しくないのは、尽くしている自分を楽しんでいるからです。

どMな感じに聞こえるかもしれませんけど(笑)

僕は人に何かを提供して、喜んでもらうとゆうことを自分の楽しみにしているんです。

喜んでくれた笑顔や驚いたリアクション、それが僕に対しての対価なんですね。

だから人に尽くしているようで、自分が楽しんでいる。

つまりは自分のために自分が楽しいことをしているだけなんです。

僕が絵を描いているのもそうです。

僕の絵で、一人でも笑顔になってくれたり、頑張ろうって思ってもらえることが、何よりの報酬です。

もちろん喜ばれない時も、いまいちなリアクションの時もあります。

その時はその時で、自分の行為が間違っていたりズレていたりとゆうことなので、それを受け入れ次に活かしていきます。

もちろん戦略的な行動もしますよ。

それも尽くすとゆう行動も、すべて自分が考えて選んだことなので、責任はすべて自分にあるんです。

相手に責任転嫁することではないんですね。

そうすれば相手に嫌な感情を抱くこともないし、失敗を踏まえて活かせれば、自分のレベルアップにもつながります。

是非考え方をもう一度見つめ直して、自分を楽しませるとゆうことを軸に、相手に尽くすとゆうことを見直してみてください。

自分がほんとに楽しんでやっていることは、周りの人をも楽しくしていくものです。

 

 

 

 

 

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