自分の人生を生きて行くために 哀しみもちゃんと認めて受け入れる
こんにちはYU-ZYです。前回はほぼほぼ喜怒哀楽の「怒」についてお話しました。
今回は「哀」哀しみについてお話させていただこうかと思います
「哀」かなしみってなんなんでしょうか?一番厄介な感情なんじゃないでしょうか。
そして深い哀しみはいきなり訪れます。
家族や身内、愛する人が亡くなった時のかなしみは、とてもつらく、もう立ち直れないんじゃないかって思います。
僕もたくさんの取り戻せないお別れをしてきました。
そんなかなしみからは、一刻も早く立ち直りたいものですが、あなたはどうやって立ち直ってますか?
僕は目一杯悲しみます。
やり残したことや伝え残したこととかがあれば、目一杯後悔します。
人目もはばからず、めちゃくちゃ落ち込むみます。
それは決して恥ずかしいことじゃないですから。
僕の場合、前に進むためにそうしています。
過ちがあれば、同じ過ちをなるべく繰り返さないよう、その過ちを糧にできるようにしています。
どこか忘れましたが、どこかの大学の実験によってもそれは証明されています。
悲しいことがあった時、早くわすれようとするよりも、くよくよしたほうが、早く立ち直れるとのことです。
そして僕らはどんなに悲しくても、まだ生きていかなければいきませんからね
人間生きていれば、必ず悲しい場面はやってきます。
けど、必ず乗り越えることができます。
偉業を成し遂げた人とかも、すごい逆向を乗り越えてきた人も多いですよね。
よく立ち直って今その立場を築いたなって思います。
書籍や映画になっているものも少なくありません。
「あの人だから乗り越えれたんだ」「元からすごい人だから」そんなことないです。
その人たちも、その苦悩を経験するまで、大抵普通の人です。
特別じゃない、誰にでも、諦めなければどんな苦境も乗り越える力はあります。
決して書籍や映画のなかの世界のおとぎ話ではないんです。
そして僕はこう思います。
その哀しみの元になった物(人や出来事など)への依存からの自立の時なんだと。
どこまでも自分を信じて、諦めないで行動した人にだけ、逆転することができます。
だから自分を信じて愛することが大切なんです。
逆境を乗り越えた人の実話をもとにした映画もたくさんあります。
それらを観るのはとても刺激になりますし、大切なことを気付かせてくれたりもしますのでお勧めします。
「哀」があるからこそ、「喜」「楽」の本当のありがたさを感じることができます。
やっぱり「喜」「楽」はたくさん感じて生きていくほうがいい!
当たり前ですね。そう当たり前なんですよ。
僕は人が生まれてきた一番の目的は、いかにより多く喜びと楽しいを感じていくかだと思っています。
喜びを感じ、楽しく生きていくことが使命であり、自分らしく生きるってことだと。
勿論そんないいことばっかりじゃないですよ。嫌なことも、しんどいことも同じ数だけ、いやひょっとしたらもっと多くあるかもと思います。
それも当たり前のことです。
じゃあどうやって「喜」「楽」をより強く感じていけるんでしょう?
結局なんですが、自分自身で掴むしかないんです。
幸せは人なり神様なりが運んでくれるなんて思ってませんか?
誰も与えてくれませんよ。
「運命」とは命を運ぶと書きます。
「運命」は生まれた時から決まっているものじゃありません。
自分で自分の命を運んでいく➡運命なんです。
苦しみ悲しみがあり、それでも負けずに諦めずに命を運ぶ。
そうゆう人にだけ神様や高次の力が力を貸してくれたり、チャンスを与えてくれたりするもんだと感じています。
たとえば、あなたが神様だとしたらどうでしょう。
安い賽銭投げ入れて、自分では何もしようとしない人と、必死でもがいて頑張っている人と、どちらに力を貸したくなりますか?
僕が神様だったら、間違いなく後者です。
何もしてないやつが幸せにしてくださいなんて、ただの図々しいやつです。
叶わなかったら「効き目なし」「いんちき」とかゆうやつ、相手するのも馬鹿馬鹿しくなります。
「頑張っていれば夢は必ず叶う」なんてことは言いません。
どんなに命がけで努力しても、叶わない夢もあります。
けど意味がないことじゃありません。
夢を掴む掴めないとゆう結果は、とても大きな事柄です。
人生が全く違うものになる可能性もあります。
夢を掴んだ人は、誰よりもしてきた努力や工夫が報われて、形になったんですね。
ほんとに素晴らしいことです。
そうゆう人にはいろんなものが更に舞い込んでくるし、いろんな人もよってきます。
ただ気を付けなければいけないのは、気を抜けばその栄光も失ってしまいます。
夢を掴んでも、そこからも努力、頑張りは続けていかないといけません。
下手したら全てを失うこともあります。
その幸せを続けていくためには慢心することなく、努力し続けていく。
また、その努力し続けられるってこと自体が幸せなことです。
夢を掴めなかったら何もなし、意味なしじゃないってゆうのは、だからこそ得られるものがあるからなんです。
夢を掴めた場合より結果的に、多くのものを得ることもあります。
これは気休めなんかじゃありませんよ。
たとえ夢を掴むことができなかったにしても、その努力自体が財産にもなるし、支えてくれた人のありがたさ、変わらず接してくれる人がいてくれるだけで幸せを感じることができます。
だからこそ得るもの、だからこそしか得られるものが必ずあります。
あなた自身、自分自身のおきたことへの姿勢や捉え方で、成功も失敗も幸も不幸もかわってしまうんですね。
だって失敗できるって、それ自体が幸せなことだと思いませんか?
挑戦できるんですから。
今の成功、失敗はすでに過去の出来事です。やりなおしはできませんよね。
けど目の前には未来しかありません。
その未来を「喜」「楽」で満たしていくには、そうしていく行動、そして思考をしていきましょう。
「いつか訪れる幸せ」いつかはいつまで待ってても来ませんから。
より多くの「喜」「楽」を掴みにいきましょう!
自分の自分だけの人生とゆう映画ですから、すべてを決めて実現させていくのもいけるのも、自分だけです!
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