YU-ZYです。僕が絵を描くこと。僕が生きるとゆうこと。人生を変えるとゆうこと。PART2

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僕の絵には何かしらの力がある。僕が人を笑顔に出来る唯一の方法が絵でした。

東日本大震災

その時僕は大阪で仕事をしていて、事務所の時計が揺れているのを見つけて地震?と思いました。

そしてかけていたラジオで大きな地震があったと知りました。

家に帰りTVでその状況を見て、僕は本当のことかと信じられない気持ちでした。

コミュで知り合って、一番仲良くなっていたやつが仙台でした。

後から聞いたら、家の目の前まで津波が来たとのことでした。

 

僕はその当時、子供服の物流の仕事をしていました。子供で飯を食べている、自分にも子供がいる。TVで子供たちが、自分の子供と同じくらいの子たちが悲しみに暮れている。

 

しかし東北と大阪。

大阪には実被害が無かったこともあり、周りはやはり対岸の火事です。

報道では全国各地からボランティアが集まり復興にむけて、それぞれ目いっぱいの力を出している。

自衛隊も警察も消防も、アメリカ軍までも動いているのに、僕の周りは何もしない。

僕はそれが許せなかった。

めちゃくちゃ嫌でした。

そして僕は動きました。

 

物流の倉庫って、結構荷主に報告していない過剰在庫ってあるんですね。

それを支援物資として送ったんです。

業務を終え一人で深夜まで、時には徹夜で荷物をつくりました。

子供服を男児女児、サイズに分けて支援物資として送りました。

それを受け取って、自分でそれぞれの避難所に届けてくれたのが、さっき言った家の目の前まで津波がきていた男でした。

報道もされない小さな避難所にその結構な量の服を届けてくれたんです。

本人自体もそれどころじゃなかったろうに、それでも僕の気持ちに答えてくれた。

そして子供たちは本当に喜んでいたと伝えてくれました。

嬉しかった。

そして僕にはすごい友がいると思えました。

何度か送り、最後の荷物に僕が描いた絵を一緒にいれたんです。

少しでも誰かに元気になってほしくて、下手くそなひまわりの詩画を送りました。

彼はその絵を、当時唯一被災を免れた石巻の総合病院の小児科に持っていってくれました。

先生や看護師さんも喜んでくれて、待合室に飾ってくれたとのことでした。

 

そして7年が過ぎ、、、

 

僕は彼に会いに仙台へ行きました。久々の再開でした。

仙台は復興バブルになっていて、ダンプやトラックが走り回っていました。

彼は7年経った色んな被災地(TVでよく映っていたようなところ)を巡ってくれました。

手つかずのところ、そのまま置いているところ、何百人の名前がかかれた慰霊碑。

そして最後に絵を届けてくれた病院に連れて行ってくれたんです。

僕はさすがに7年も経ってるから、もう片付けられてるよと思ってました。

絵を飾ってくれた待合室を見回って、、、

ありませんでした。7

年も経ってる無名の画家の絵なんだから当然だと思いました。

僕はもう帰ろうと言ったんです。

けど彼は何故か諦めず、受付の看護師さんに「こんな絵みたことないですか?」と携帯で撮った写真を見せました。

すると「見たことある」と言ったんです。

そして「先生に聞いてきます」と診察室に消えていきました。

そして「ありましたよ」って

 

なんと診察室に飾ってくれていたんです。

まさか7年もたって、未だに飾ってくれているなんて。

しかも診察室に格上げ。

信じられませんでした。

僕の絵が、僕の絵なんかがってほんとに信じられませんでした。

聞けば、絵に書いた詩(メッセージ)が子供を連れてきた親御さんに、すごく評判が良かったとのことでした。

信じられなすぎて放心状態でしたね。

僕の絵に何かを感じてくれた人がいる。

少しでも元気になってくれた人がいる。

そして絵に生かされている僕自身にも気づいたんです。

 

こんなに嬉しいことはなかった

帰りの車、僕は泣きました。

そいつが隣にいましたが、涙が止まりませんでした。

 

そしてこの出来事が僕の心を決めました。

少しでも、たった一人でも、僕の絵で明日を目指してくれるのならば、それが僕の生きる道だと。

 

とても違う生き方を始めるには遅すぎると言われる歳です。それでも決めたんです。

 

絵で生きると。

 

僕は離婚、自己破産をしていますが、それは決して絵のせいではないですよ。

離婚はどうしようもなく冷めきってしまった夫婦間のせいであり、絵のために家族を犠牲にしたわけではありません。

自己破産も離婚前の数年間、どうしようもなく苦しい時期に、それを紛らわすために飲み歩き過ぎてしまったからで、絵に大金をつぎ込んだわけではないです。

離婚も自己破産も当時はやっぱり落ち込みましたし、子供にも多少なりとも辛い思い、心配をさせたと、ひどい罪悪感にさいなまれたこともありました。

 

けどこれはチャンスだと思ったんです。

絵で生きる。自分の生きていきたい人生を生きる、今生最後のチャンスなんだと。

そしてそれを目指せるのであれば、たとえ道半ばで倒れても野垂れ死んでも構わないとも思いましたが、いや、絶対結果を出して、子供らにも自慢の親になると。

それまで生きて生き抜いて、死ぬまで諦めないと決めたんです。

そしてそれは楽しくなければならない。笑って生きていかなければいけない。

そう思ったんです。

 

「人生リスタート」は僕自身の経験、成功と失敗、山と谷、生と死を踏まえ、今の人生を楽しむとゆうスタイルにいたった経験を、僕と同じように苦しんでいる人に少しでも何かのヒントになればと思い書いています。

「初心者のための絵の上達のために」は下手くそで三日坊主の僕が画力をあげ、絵を買ってもらえるまでになった経験、そして今の僕だからこそ教えることのできることを書かせてもらっています。

「人生リスタート」と「初心者のための絵の上達のために」は繋がっているとゆう意味が少しだけでもわかっていただけたなら幸いです。

両方本気やっています。

そしてこれからも僕自身どんどん進化していき、画力もあがっていき、もっと人の心に届くものを生み出していきます。

そして絵で生きていくを実現していくんです。

そして僕と同じように、自分が望む人生を送れるようになった仲間と、喜びを分かち合っていきたい、いや、いきます!

いきましょう~!