意識改革!勉強熱心な人必読!メモはできるだけ取るな!
こんにちわ。YU-ZYです。
自分の人生を変えようと色々と試している皆様、頑張ってますか?
その頑張りを楽しんでいってくださいね。
今日は特に勉強熱心な方に向けてお話させてもらおうと思います。
意識を変えよう、意識改革しようと頑張っているかたに一言、言っておきたいことがあります。
よくメモを取れメモを取れと言われて、こつこつメモをとっているかたも少なくないと思います。
これは勉強熱心な方ほど陥りやすいことです。
ハッキリ言わせてもらいます。
それ、生きていますか?
たくさんメモをとって、それを整理して、ちゃんと実行、行動できていますか?
多くの人がメモは人一倍とっているけれど、それを整理せず、行動もせず、成果も出ず、また新しいメモをとっているんじゃないかと。
それはね
メモを取ることが目的になってしまっているんです
本来は目的があって、それのためにメモをとる。これが本来の姿です。
でも、いつのまにかメモをとることが目的になっていませんか?
セミナーなり講義なりで、講師の一言一句メモをとる。
これ無駄で全く意味ないですからね。
まさにメモをとることが目的になっているんです。
メモをとることによって、理解した、出来たとなってしまっているんです。
実際には何にも行動できてもいないのに。
メモをとるところ、コツは、要点をおさえてメモをとる
講義やセミナーは、それぞれそこには何らかの意味はあります。
全く意味のないものはありません。
無料のものもあれば、有料のものもありますよね。
ほんとに素晴らしいものもあれば、ハッキリ言ってクソみたいなものもあります。
けどそれを全く無駄にしてしまっているのは、自分自身でもあるんです。
その要因は勉強熱心がためのメモがあるんです。
色んなメモがたまりにたまって、全く整理できていないものないですか?
整理できてもいないのに、新しいメモ書いていません?
よくあることです。僕も実際そうでした。
いろんな講義やセミナーそれらをうけてメモをとって、整理も行動もせず、また新しい講義やセミナーをうけてメモをとる。
全く無駄、時間の無駄遣いです
メモを取るのは講師の一言一句ではありません。
要点とすぐに行動できそうなことだけでいいんです
特にすぐ行動できそうなことだけでもいいんです
メモをとる目的はなんですか?本来の目的を見失ってはいけません
目的達成するためのメモです。一、手段なんです。
それを多くの方はいつのまにか多くのHOW TO物をうけて熱心にメモをとって、それだけでできた気分になってしまっています。
そして行動しないから、当然結果もでない。
そしてまた新しい教材を求めて、またメモをとる。
もう、これまでの話で気付かてますよね?
どんな話を聞いても、やりかたを聞いても、それを行動に起こさなければ、いいも悪いも答えはでません。
なのでメモをとるところは、すぐにでも行動できること、試してみれることだけでいいんです。
翌日には忘れてしまっているようなことは、今のあなたに必要なことではないとゆうことです。
特に気になったこと、心に刺さったことだけでいいんです。
そして自分が大切で、実行できそうなことを見つけ出すことが大切なんですね。
そしてとりあえず、まず行動してみることです。
実際やってみないとわからないことや、やってみて初めてわかることばっかりですから。
意識改革とは? それは自分自身のためになっているのか どこに主体があるのかをしっかり見つめることが大切
意識を改革する、これをしなければ人生なんて変わりません。
自分の生きたい方向に向いていくことなんでできません。
ただ、それが本当に自分自身のためになっているのか、自分主体になっているのかが重要になってきます。
「好きな人に好かれたいから」「良い人に思われたいから」それって自分主体なんでしょうか?
そう、それって他人主体ですよね。
その時点で、本来の目的からずれてしまっていると言えます。
本来の目的に達するには、いろんな道筋、手段があるんです
例えばお金持ちになりたい、そんな思いがあると思います。
けどそれって目的なんですか?
お金持ちになって、なったら?
そこにどんなあなたがいるんでしょうか?
余裕のある自分や生活、贅沢や無駄遣いができる生活、それは目的ですか?
要はそれらを得て、どうなった自分がいるかどうかが目的とゆうものじゃないでしょうか。
お金持ちになるとゆうのは、目的ではなく手段なんですよ。
他のこともそうです。
素敵な恋人が欲しい。地位や名誉が欲しい。豊富な人脈が欲しい。
それらって、ほとんど目的じゃなく手段なんですよ。
素敵な恋人ができたら?
地位や名誉を得たら?
豊富な人脈ができたら?
その先にあるものが目的なんですね。本来あなた自身が求めているものです。
結構自分じゃわからないものなのかもしれません。
知らず知らずに手段自体が目的になってしまってしまうんです。だから本来の進むべき道からずれてしまうんです。
人それぞれ形は違えど、目的は自分自身の幸せであることには変わりはありません
自分自身を幸せにするとゆうことは、つまりは自分自身を好きななることだと言い切れます。
自分自身を嫌い憎んでいては、幸せなんて感じることなんか出来るわけないんですから。
自分で自分自身を好きでいるって、考えたらすごいことだと思いませんか?僕は思います。
他の人がどんなに思いやりをこめてくれても、優しくしてくれても、それでもホントに最終的に最後まで諦めないでいるのも自分自身、信じて信じ抜けるのも自分自身だけですから。
人それぞれ幸せとゆうものの形は様々です。
どれも肯定すべきもので否定するものではありません。
ただそれが本当に自分主体のものなのか、人目を気にしてものなのかは、ちゃんと向き合って自問自答していくべきものだと思うんです。
答えなんて、そう簡単にでませんよね。
いろいろ試して失敗して成功していかなければ、なかなか見出せるものではありません。
けど諦めずにトライアンドエラーをくり返して、それでも生きて生き抜いていけば、必ず何かが見えてきます。
僕もようやく見えてきたところです。
生きていればいろんなことあります。
諦めなければいけない事柄も勿論あります。
だけど、どんなことがあっても、自分自身にだけは諦めてはいけない。
それだけは大切にして欲しいと願います。
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