生きてるだけで負けていない。自分軸で生きて行くために。
こんにちはYU-ZYです。
あなたは今おいくつでしょうか?20代?30代?40代?それ以上?
20代30代ならまだそんな気持ちは薄いかもしれません。
けど40代50代それ以上になると、年齢を言い訳にいろんなことを諦めようとしていませんか?
上手くいっていると感じている人ならいいですが、うまくいっていなければ、まるで自分はダメなやつだ、負け組だなんて思っていませんか?
そう思っているのなら、それはあなたがあなた自身に負けているだけです。
今生きている
いろんなこと乗り越えて、今生きているのならば、あなたは、僕は
まだ負けていないんです!
勝ってはいないかもしれない。けど負けてないんです!
そして生きている以上、まだまだどこまでも可能性が有るってことじゃないですか?
僕も今までいろんなことがありました。
自分の生きている意味を見出せず、自分がいなくても何も世界は変わらない、気にも留めない、もう駄目だ、もう死んでしまおう、そんな時もありました。
死んでしまう勇気がなかったと言われるかもしれません。
けど今思えば、僕は本当の僕は生き抜くことを選んだんだと思います。
これから生きていけば、さらなる苦しみ悲しみに出会うことでしょう。
そんなことわかっていても、生きることを選んだ。
そんな自分を誇りに思うんです。
世ゆう死後の世界、天国地獄が本当にあるのか無いのか、僕にはわかりません。
実際に行ってきた帰ってきた人にあったり、話をきいたこともないですから。
正直、それらを恐れて死を選ばなかったとゆうのもあります。
けど、なんだかんだで僕はまだ今、生きています。
あなたも生きています。
それってすごいことだと思いませんか?
時代や国が変われば、人の生き死にさえも非常に軽くあつかわれ、どうでもいい扱いをされています。
まあ、他人の生き死に興味を持たれないのは現代も日本の同じですが。
けど、そんなことどうでもよくないですか?
だって僕は、あなたは今生きてるんですから。
年齢?それはただの言い訳 自分が自分に対して言い訳している以上、変わることはない
もう何歳だから。いい歳して。いつまでも。よく言いますよね。
けどそれって軸がどこにあります?自分軸になっているでしょうか?
他人軸で自分の人生を進むから、いつまでもつまらない、面白くないって言葉を口にするんです。
「年甲斐もなく」「いつまでも子供みたいなこと言って」そう言いながら、そうゆう人をどこか羨ましがってる自分がいませんか?
そんなことないと、無理やり自分を抑え込んで騙していませんか?
僕は思います。はっきり羨ましいと。口に出したりもします。
他の人には馬鹿に見えても、みっともなく映っても、その人は自分軸で生きているからです。
それがあっている、間違っているなんてわかりません。
誰にもわかりません。
いつまでも、死んでもわからないんです。
特に他人にはね。
いつからでも いくつからでも 何度でも リスタートはできる!
だって今生を生きてるんだから。
この先どのくらい生きるか、いつ死んでしまうか、誰もわかりません。
5年、10年先なのかもっとなのか、はたまた明日かもしれません。
不思議なことに、自分自身のことなのに、自分でもわからないんですよ。
じゃあ少しでも早く、たとえわずかな時間になろうとも、自分を自分らしく、自分が自分自身を好きな人生を送らなければ勿体なくないですか?
僕はある出来事を期にそれを突き付けられました。
そして自分の人生を自分で作っていこう、大好きな自分になろうと思ったんです。
たしかにそんなに簡単なことじゃない。僕は人一倍ひねくれものですから、様々な葛藤があり、苦しみがあり、諦める気持ちも沸いてきます。
挫折に打ちのめされて、もう流れにのまれてしまおうかとゆう気持ちが頭をよぎることもあります。
けど、そんな僕を諦めさせない、まだまだ信じてくれている存在がいるんです。それに気づきました。
その存在とは誰でもない自分自身でした。
そして絵を描くことでした。
僕はまだ生きている。だから出来ることはまだまだ沢山ある。
まだまだ沢山失敗して、やり直すことができる。
そしてまだまだ沢山の幸せに出会えることもできる。
そう思ったとき、諦めるなんてほんっとに勿体ない。諦めてる暇はないなって思いました。
それは自己満足と言われるかもしれません。独りよがりといわれるかもしれません。
他人から見ればみっともないことなのかもしれません。
でもそんなことどうでもいいことじゃないですか?
だって自分の人生を生きるのは自分なんですから。
僕は僕の人生を、僕が楽しんで満足して生きていけばいいんだから。
それが自分軸です。
勝ち組とか負け組とか、くそくだらない言葉に振り回されるなんて馬鹿馬鹿しいの極みです。
勿論人それぞれ価値観はちがいます。
優先事項も、生き方も、生い立ちも、目標も、何をもって幸せと思うかも、何をもって不幸かと思うかも。
僕はそれらを一切否定も拒否もするつもりはありませんし、しません。尊重すべきものだと思っています。
ただ一つ言えることは、それがどこに軸があるかとゆうこと。
自分軸であれば、それはどんな形であろうとも、素晴らしいことです。
しかしそれが自分軸でない、他人軸であるのであれば、、、
幸せとは決して他人から与えられるものではありません。
自分で見出し、自分で掴むものです。
そして自分が責任を持って決めることです。
自分の軸がどこにあるのかを、一度見つめてみてください。
今回もあくまで僕の僕自身の見解です。
けど僕たちは、必ず望む未来を引き寄せ、望む人生を生きていけるんです。
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