奇跡はすぐそばにあります。奇跡が起きやすくする方法。

奇跡って多種多様 本当はすぐそばにあるもの 否定するのは勿体ないだけ

こんにちはYU-ZYです。

奇跡って信じます?とゆうか、奇跡ってどう位置付けるか難しいですよね。

それは奇跡の範囲とゆうか捉え方が、人によって非常に多くて広いってゆうのがあるからだと思います。

本当に神がかった出来事、ささいな出来事、思いもしない結果とか、人によっても奇跡と呼ぶものは違います。

例えばTVとかで取り上げられる絶望的な状況からの生還なんかは、わかりやすい奇跡ですよね。

いろんな偶然が繋がって、一つのハッピーエンドをむかえる。まさに信じがたい神がかった奇跡です。

また、自己啓発物やスピリチュアルによくでてくる、毎朝起きることができること自体が奇跡とゆうのもあります。

当たり前のことのようで当たり前ではなく、日々の日常を送れるだけでも奇跡とゆうものです。

またはギャンブルや宝くじなどで、思いもよらない大金を得るってのもそうだし、絶対無理だと思っていた好きな人に告白されたってのも奇跡だと思います。

人によっては「そんなの奇跡じゃないよ」ってゆうかもしれません。

けど僕はどれも奇跡だと思うし、否定する必要もないことだと思います。

 

奇跡って、すごく遠く感じるかもしれませんが、すごく身近にあるものもあるんです

すごく遠く感じる奇跡も、ほんとうは身近にあるものの延長なのかもしれません。

例えば毎日通勤通学で使う道で、そこでとんでもない大事故がおこったとします。

その事故に実際に巻き込まれて、そこから生還する。

それは奇跡ですよね。

じゃあ、いつも通りの時間にそこを通っていれば事故に巻き込まれていたけど、その日はたまたま何かの理由があって時間がずれ、事故に巻き込まれずにすんだ。

これも奇跡。

その日は休みでそこを通らなかった。その日は違う道で行った。もともとその時間には通らない。

だんだん奇跡が薄まっていくような気がしますが、これらも僕は奇跡だと思います。

だって生きているって結果は同じだからです。

 

奇跡の正体は偶然?必然?神様の仕業?

僕は全部当てはまると思っています。

偶然でもあり、必然でもある。

神様や目に見えない大きな力の仕業。

他の要素もあると思いますが、僕は全部そうだと思っています。

否定するなんて、もったいなくてしません。

 

偶然と必然て紙一重なものだと思いませんか?

起こったこと、それ自体は偶然だとしても、それに繋がる流れは、コツコツ積み重ねたことが効いていたりします。

例えば路上でライブをしていて、たまたまそれをきいた音楽関係者にスカウトされた。

これって偶然でもあり、路上ライブを続けていたから掴めた必然でもありますよね。

諦めてやめていたら、偶然そこを通りかかったスカウトマンに出会えなかったんだから。

神様のお力ってゆうと、とたんにうさん臭く感じてしまうかもしれません。安心してください。僕は何かに勧誘したり、売りつけたりしませんから(笑)

僕自身宗教につかっていた時期もあり、その反発でそれらを完全否定していた時期もありなんです。だからこそ言えることもあるんですね。

ここで詳しく話し込むつもりはありませんが、一つ言えるとすれば、全てを否定してしまうのは非常に勿体ないってことです。

科学や常識では計ることができない、目に見えない力とゆうものは確かにあると思います。

僕はその力ってゆうものを信じています。

それは特定の神様仏様を崇めるってことではなくて、風水のように気の流れとかを意識しています。

それらって今までだれも実証できてなくて、不確定なものであるのに、大昔から絶えることなく存在していますよね。

そして今から先もおそらく信じられていく。

全くのインチキデタラメだったら、とっくに消えてしまっているんじゃないかって僕は思うんです。

じゃあそんな力や流れ、使えるんなら使わなくちゃ勿体なくないですか?

人生たった何十年しかないいんですよ。

可能性のあるものは取り入れていくほうが、僕は楽しいんです。

そう楽しむってのが何においても大切なことだと信じてます。

 

日々小さな奇跡を見つけ、奇跡が流れ込みやすくする

「毎朝目が覚める、それだけでも奇跡」どこかで聞いたことや言われたことあるんじゃないですか?

僕もそう言われて、そう思おうとしていたこともあります。

けどね、僕みたいに愚痴っぽい人間にはかなり難しいことでありました。

だって起きた瞬間から愚痴ってたんだから(笑)。

最悪もう目覚めなくてもよかったのに、なんて思うときもありました。(かなり病んでました💦)

けど、古くからの大切な友達が突然死した時、気持ちが少し変りました。

そいつはベッドで寝ていて、寝ているそのまんまで亡くなっていたんです。

ほんとに目が覚めなかっただけ、みたいな感じだったそうです。

まだやりたいこともあったろうし、婚約者もいた、いろんな未来を楽しみにしていたはずでした。

その時ふと頭によぎったんです。

目が覚めることも奇跡ってこうゆうことかって。

奇跡といっても、それは小さな小さな奇跡かもしれません。

でもその小さな小さな奇跡が積み重なれば大きな奇跡となります。

いくつもの小さな川は、やがて大きな川につながり、その大きな川は、大海につながります。

小さな奇跡でも、自分に流れ込む道を作ってやれば、奇跡は自分に流れてきやすくなります。

小さな奇跡を見つけることを習慣にし楽しみ、奇跡を見つけやすい流れ込みやすい思考、体質にしていきましょう。

それによって流れ込んだ奇跡は、偶然をこえて必然といえるものだと思います。

だから奇跡は待つものではなく、自分で呼び込み、起こすものだとお伝えしたいと思います。

 

 

 

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